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マウンテン (''Mountain'') は、アメリカのハードロックバンド。 1969年に結成された。グランド・ファンク・レイルロード(Grand Funk Railroad)とともに、70年代アメリカンハードロックの代表的なバンドとして知られる。 == バイオグラフィー == 1968年、巨漢のギタリスト、レスリー・ウェストとイーストコーストのフォーク界やクリームのプロデュースで名を上げたベーシスト、フェリックス・パパラルディが知り合ったことからスタートする。1969年にリリースされたウェストのソロ・デビュー・アルバム『マウンテン』にはパパラルディとN.D.スマート(ドラムス)が参加し、その後スティーヴ・ナイト(キーボード)を加えた4人でマウンテンが正式に結成された。1969年8月、ウッドストック・フェスティバルに出演し、その後ドラマーがウェストの旧友コーキー・レイングに交替する〔。 1970年に事実上のデビュー・アルバム『勝利への登攀』を発表。同作からのシングル「ミシシッピー・クイーン (Mississippi Queen)」は全米21位のヒットとなり〔Mountain | Awards | AllMusic 〕、この曲は1971年の映画『バニシング・ポイント』の挿入曲に使用され、またフジテレビの番組「ひらけ!ポンキッキ」の中でかなりの間使われていた。 1971年の『ナンタケット・スレイライド』は、アメリカのBillboard 200で自己最高の16位を記録した〔。同アルバムからは、1972年に「暗黒への旅路」が日本でヒットした。その後ハード・ロック志向を強めるウェストと、ミシガン大学でクラシックを専攻した素養を生かしプログレッシヴ・ロック志向を強めたパパラルディとの対立で1972年に解散。ウェストとレイングはジャック・ブルースと組み、ウェスト・ブルース・アンド・レイング(West, Bruce & Laing、WB&L)を結成。パッパラルディも自前のバンドにおける活動に移る。 1973年、WB&Lの日本公演が企画されたが、その直前にブルースが脱退したためバンドが空中分解する。急遽パパラルディが呼ばれ、マウンテンが再結成される。この日本公演には新メンバーのボブ・マン(キーボード、ギター)とアラン・シュワルツバーグ(ドラムス)を迎えた編成で行われ〔、その模様はライヴ・アルバム『異邦の薫り』として発表された。その後レイングが復帰してスタジオ・アルバム『雪崩』が制作されたが、ウェストとパパラルディの溝は埋まらず、間もなく解散となる。 パパラルディはその後、プロデューサーとして日本のクリエイションやパンク・バンドデッド・ボーイズを手がけ、ソロ・アルバムの制作も行ったが、1983年、アルバム・ジャケットの絵などを手がけていた妻ゲイル・コリンズに射殺される。 一方のウェストは、1978年にスティーヴ・マリオットとザ・ファームを結成しようとするがデビューには至らず、その後ニューヨークで自分のギター教室を始める。しかし、1985年にはレイングと元コロシアムのマーク・クラークを伴いマウンテンを再結成して、スコッティ・ブラザーズ・レコードとの契約を得た〔。その後もウェストを中心に再結成を繰り返している。 レスリー・ウェストのピッキング・ハーモニックスやバイオリン奏法に影響を受けたギタリストは多く、マイケル・シェンカーやエース・フレーリー、ランディ・ローズなどがあげられる。 2007年、オジー・オズボーン、再結成したオールマン・ブラザーズ・バンドのギタリストウォーレン・ヘインズをゲストとして迎え、全曲ボブ・ディランのカヴァーで制作した『Masters of War』を発表。2008年には、Fortéのベーシストとして知られるレヴ・ジョーンズを迎えた編成でツアーを行った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マウンテン (バンド)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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